
普化宗が盛んになったのは江戸時代になってからであるが、伝説によれば普化宗尺八とその哲学は法燈国師により13 世紀に中国から日本に伝えられた。中国に渡った法燈国師は、9世紀に生まれた中国普化宗の16代目孫張参に弟子入りし、1254年教えを伝播するため帰国 する。仏教の一派である禅宗普化宗派は臨済宗と同様に禅の思想に属する。こうして、日本の賞賛を博する音楽としてその礎を築いた。
普化宗の僧侶たちは座禅(座位の禅または瞑想の座位)を実践する代わりに尺八を吹き経をあげた。尺八は楽器とみなされず瞑想に捧げられた宗教的な道具(法器)とみなされ、吹禅、即ち座禅の体位での吹禅による瞑想の概念はこれに由来する。

徳川政権が特権の座に就くと秩序と安全を維持するため、仏僧に対しての監督が厳しくなった。幕府は僧達が瞑想と戒律を重んじる一方で、独裁政権からの独立を目指す有力な団体に具現することを恐れていたからである。また、浪人達は仏僧達同様頭を抱える問題であった。
武者修行の為、各地を一人渡り歩く虚無僧に対しての監督を容易にする為、幕府は寺ごとに虚無僧を集団化させた。のちに瞑想音楽として特異な発展と遂げる普化宗尺八の歴史の始まりである。
やがて虚無僧は、幕府の掲げる治安維持に大きな役割を果たし、それにより関所の自由通過や短刀の携帯許可などの特権が認められた。

しかし、明治維新とともに普化宗は旧政権での活躍的な係わり合いと役割を理由に、1871年入れ替わった新政権によって解体された。
尺八の教えは、大きく分けて2つの教え方がある。それは、基本教育と根本教育(秘伝)である。基本教育は多くの人が学べる一方で、根本教育は継承者のみが流派の秘伝を伝承する為に受ける教育なのである。
普化宗尺八の伝統、師匠から弟子への教えは、宮川如山、小林紫山、岡崎明道、勝浦正山、高橋空山、藤由越山という偉大な師匠達を通して伝承されてきた。彼らは限られた普化宗尺八の伝承者として、受け継いだ伝統を重んじ、演奏家として偉大な功績を残してきた。そしてついに新しい次元を超えた音楽スタイルを確立した。
普 化宗尺八の特徴は、日本各地の寺ごとに独自の曲が伝えられており、曲名が同じでも中身が一部違っていたり、全く違うものもある。楽譜のない時代の故に寺ご とに違いがでてきたのか、あるいは虚無僧が旅の途中に訪れた寺で教えを請うた際に曲の一部だけを習得し伝えられてきたという説も考えられる。
例えば、「鈴慕」という曲があるが日本各地にはいくつもの「鈴慕」がある。「九州鈴慕」「奥州鈴慕」のように各地の地名が「鈴慕」の前につけて区別する。そして中身も全く違っている。
また寺ごとにそれぞれ伝えられた曲名は、同じ曲名でも一月寺、鈴法寺、明暗寺など伝えられた寺により内容が異なる。

こうした全国に散らばる数多くの普化宗尺八古典曲は、虚無僧としても日本各地を武者修行した高橋空山によって集大成されたのである。
普 化宗尺八は、江戸時代に政治的な理由で構成されたが、宗教団体というよりむしろ音楽の原理・哲学の一派であり、もともとは禅宗の思想から生まれた。普化宗 尺八の真髄は音楽性にある。瞑想音楽である普化宗尺八の真髄は『真音』つまり『一音成佛』にあるといっても過言ではない。
明治維新後解体されたが、その原理とその教えは密かに伝えられ今日に至る。
現在の普化宗尺八は、基本的に古典曲を中心に構成されているが、民謡、西洋古典音楽、現代音楽など様々なジャンルを超えた音楽にも挑戦している。
普化宗尺八をもっと知りたい方、もっと楽しみたい方にぜひともお勧めのCDがある。当サイトでも紹介している藤由越山師のCD「竹韻縹渺鈴慕」、「究極の竹韻虚空」である。瞑想音楽である普化宗尺八の真髄「一音成佛」が見事に表現されており、そこから吹禅の意味が読み取れるであろう。
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